長らく更新がストップして申し訳ございません。
2月も中旬近くなってしまいましたね。
受験生の皆さんが頑張っていらっしゃるころでしょうか。
さて、今日ご紹介いたしますのは、この受験を思い出して。
私が受験した学校はこの方がいらしたからなんであります。
本多俊之先輩。当時はまだフュージョンという言葉が定着していなくて、クロスオーバーなんて言っておりました。
入学式当日に本多氏がいるはずのジャズ研の部室をどきどきしながら訪ねると。
「え、本多さん?去年卒業したんじゃないの?」
がーーーーーん!
わしはワシは、何のためのにわざわざ大阪からこの学校の入学を目指してきたのだ、
(勉強するつもりはないのか)と大きく落胆したのであります。
本多さんがいなくても、最初に購入したサックスはファーストアルバム「バーニング・ウェイブ」の747ウィンドフライトのソプラノに痺れてしまったのでヤナギサワ(プリマ・エリモナ)のソプラノをローンで買ったのでした。
そして以後、本多さんのレコードはリリースされたものはすべて買い求め、
下宿の壁に特製のLP掲示枠を作って毎日拝んでおりました。(拝んでも上達しませんよ皆さん)
今ではそれらの音源は入手困難になっていましたが、ブーメラン!
このアルバムは嬉しいことにCDで再発されております。もう1枚イージー・ブリージングもCDになりましたね。
80年代前半のフュージョンミュージックは
「突き抜ける」
という言葉で表現されることが多かったような気がしております。
なんかこう青空がスカーッ、青い海がパーッみたいで、
どのアルバムの1曲目もスピード感溢れるカッコいい曲かハッピーフィーリングでウキウキチューンのどちらかでドライビングミュージックにもってこいでありました。
でもアルバムを今聴きなおすと、4ビートジャズあり、本格ラテンナンバーありでこの偉大な先輩の「広い耳」とその技量は当時としてはやはりものすごいエネルギーを持った方だ、と再認識する訳です。
その後「マルサの女」などの映画音楽やテレビや劇音楽の作曲活動にシフトし、クラシックの須川さんとのコラボなどに活動を広げられますが、昨年は村上ポンタ秀一さんのユニットで東京ミッドタウンのライブで懐かしい音を聴かせて下さいました。
本多さん!ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
」皆さんも是非聞いてみて下さいね。
最近のコメント